中国開放政策の象徴である「経済特区」は、1980年に深セン 、珠海、汕頭(以上、広東省)、厦門(福建省)の四つ地域に最初に創設されました。この経済特区内では中国のその他の地域とは別の制度が適用され、突如市場経済地域が出現することになりました。
この特別に優遇された地域はその後、1984年4月には14都市(天津、秦皇島、大連、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海)を経済技術開発区に指定、1985年1月には長江デルタ、珠海デルタ、福建省の 南デルタ地域を開放区に指定、1988年には遼東半島と山東半島を含む渤海湾周辺都市を開放都市に指定、海南省を広東省から分離した上で全島を経済特区に指定、1990年には経済特別区なみの優遇措置を適用可能な上海浦東新区を設置、と続きます。
このように自由な市場経済に基づいた近代工業の歴史は浅く、中国沿岸地域に限定されたものとなっています。
この地域を中心に日本、台湾、香港、韓国などのアジア系企業の進出、欧米企業の進出も盛んで最新技術の導入による物作りが急激な勢いで発展しました。
このような中、中国人の労働者は内陸部から出稼ぎのような形でどっと押し寄せ、安価で豊富な労働力となって近代工業発展に寄与してきました。また国の教育制度の充実と相まって大学卒業者も増加し、外資系企業の管理者として技術を学び多くの知識や経験を積みつつあります。
また、外資系企業では生産が本格的になるに従って本国から優秀な技術者を多く派遣し、まだ経験の浅い中国人技術者を指導するようになりました。
中国人技術者は、世界中の最新技術を拾得できる環境で着実にその実力を増しつつあります。
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