最近は中国のあちこちで日本人が活躍していますが、私は中国での仕事や中国人とのつき合いがうまく行くためには、中国のことをもっと知らなければならないと思っています。
歴史、地理的な条件、政治、教育など良く知っておけば思いこみによる誤解やトラブルがもっと少なくなると考えます。
■中国の歴史について
中国の歴史は一言でいうと、異民族入り乱れての骨肉の覇権争いの歴史であり、漢民族・蒙古族などの血が混じり合い、そういう意味の4000年の歴史を築いてきました。
また今も少数民族を含め55の民族が寄り合う多様な国家です。
日本の場合は、侵さざるべき天皇の存在があり、国家として異民族に征服されたことはありません。
ここに普遍的な日本と決定的な歴史上の差が生じたのです。
中国を理解する上でこの事実は、後々、基本的な要素となっていることが解ります。
日本の偉大なる隣国・「中国」(支那)は、よく「中国4000年の歴史」と称します。最初の王朝・夏(前2173?-1772?)から、1912年の辛亥革命によって倒された最後の王朝・清(1616-1912)、更に現在の中華人民共和国に至る「時間」で見れば、確かに4000年もの長い歴史を誇るアジアの老舗である。
しかし、果たして本当にそうなのでしょうか? と言う訳で、今回は「4000年の歴史」と称する「中国」の虚構について書いてみたいと思います。
まず、第一に知っておいて頂きたい事、それは「中国」の歴史はまだ百年にも満たないと言う事です。「中華人民共和国」(1949年成立)及び、その前身である「中華民国」(1912-1949、1950年以後は台湾)と言った「国号」(国名)の略称なのです。
又、我々がよく知っている、漢・隋・唐・明と言った「王朝」は、実の所、「国号」をそのまま王朝名に使っている訳で、「漢」王朝時代の国号は「漢」、「唐」王朝時代の国号は「唐」なのです。つまり、漢や唐は決して「中国」では無いのです。その観点からすれば、「中国」の歴史はまだ百年にも満たないと言う訳です。
次に、「中国」を「漢民族の国」の事だとして考えてみましょう。これで「4000年の歴史」が成立するのか? 結論から言うと、やはり、これでも「4000年の歴史」は成立しないのです。何故なのか?
最初の王朝・夏から西晋(265-317)迄は基本的に「漢民族」の王朝が続きます。この間、およそ2500年。しかし、西晋時代、匈奴・羯・鮮卑(以上、モンゴル系)・氏・羌(以上、チベット系)等の異民族 ── いわゆる「五胡」が、王族間の内紛(八王の乱)の際に傭兵として重用されたのがきっかけとなり、遂には西晋自体が、飼い犬に噛まれるが如く、自らが導入した五胡によって国を滅ぼされてしまったのです。その後、華北(揚子江以北)の地は、五胡の国々が入れ替わり立ち替わり興亡する、いわゆる「五胡十六国時代」と呼ばれる状態となりました。
そして、「漢民族」は、華南(揚子江以南)へと遷り、東晋(317-420)・宋(420-479)・南斉(479-502)・梁(502-557)・陳(557-589)と言った諸王朝(南朝)が交替していったのです。
一方、華北は、鮮卑族の拓跋部が建てた北魏(386-534)によって統一され(北朝の成立)、その後、宇文部(匈奴族とも鮮卑族とも言われる)の建てた北周(557-581)の後継王朝である隋(581-619)が、589年、南朝の陳を滅ぼし、支那全土を再統一したのです。
さて、約3世紀ぶりに支那を再統一した隋ですが、これが実は生粋の「漢民族」王朝では無いのです。3世紀もの間、五胡によって華北が支配された結果、華北の「漢民族」は、モンゴル(以下、蒙古と略)系・チベット系等の異民族との混血が進み、五胡化されてしまったのです。そして、これは隋王室である楊氏や、次の唐王室の李氏にも言える事だったのです。更に追い打ちをかけたのが、世界帝国・唐(618-907)の滅亡でした。隋・唐は五胡化されたとは言え、まだまだ「漢民族」としての血を残していました。しかし、蒙古系契丹族が遼(916-1125)を建てた事で、支那の歴史は劇的な変質を遂げたのです。
唐滅亡後、支那には主として、中原(支那の中心地)に「五代」と呼ばれる五つの王朝が、その外縁部に「十国」と呼ばれる国々が相次いで興亡しました。いわゆる「五代十国」の乱世です。この時代、中原に興亡した「漢民族」の王朝である筈の五代諸王朝は、何と蒙古系契丹族の王朝・遼に「臣従」(臣下として仕える事)していたのです。これが一体何を意味していたか? つまり、支那世界における「天命」 ── 正統性が、「漢民族」から異民族へ移った事を意味していたのです。そして、これは女真族の金(1115-1234)・蒙古族の元(1206-1388)へと継承されていきました。
元王朝のあと、久々に「漢民族」の王朝・明(1368-1661)が成立しましたが、「天命」は再び異民族である満州族の王朝・清に移ってしまったのです。こう見てみると、隋・唐以後の支那は異民族王朝のオンパレードとも言える訳で、到底「漢民族」の国の歴史とは言い難いものとなってしまいます。つまり、「外国支配」も含めて、ようやく「中国4000年の歴史」が成立すると言う訳です。
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