ある中国美人の波乱の半生(その5) から続く >>
王は四川省の田舎から深セン;に出稼ぎに出たのはちょうど20歳の年だった。友達の誘いでカラオケクラブで働くようになり祐二と出会った。祐二は王を教育し香港企業のキャリアウーマンとして変身を遂げさせた。だがそこには様々な難関が待ちかまえていた。 ・・・ <<あらすじ>>
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その男の名前は「祐二」といい、王は「祐ちゃん」と呼んでいた。
春節を四川省のふるさとで過ごし、祐二のもと深センに戻っていた王にとって再び転機が訪れた。
祐二は、香港に事務所を構えていたが、月のほとんどを深センや東ガン、広州、珠海などで過ごしていた。祐二の会社は電子機器製品の設計から試作、量産まで請け負うアウトソーシング・ビジネスを手掛けていた。日本の本社はEMS企業としてファブレス(工場を所有しない)戦略を2000年代に一気に進め、香港を起点に日本の得意先から受注した電子ユニットを中国の工場で委託生産を拡大していた。
祐二は、中国の工場に生産を任せることには、非常に苦痛を感じていた。中国の事情を理解していない日本の本社の要求は容赦なく、短納期の納品を要求してきた。祐二はそのたびに中国の工場を駈けずり周り、マイペースで仕事をする中国人たちをけしかけ、尻をたたいて何とか納期を守っていた。
祐二は王にある考えがあることを伝えた。それは、委託生産を行っているメイン工場である深センの香港資本の企業に王を送り込むことであった。彼女を日本語のできる営業ウーマンとしてその会社に雇わせ、日本の会社の窓口の役割を務めさせるというものだった。そのことを告げられた王は戸惑いを隠せなかった。以前カラオケクラブで働く前は、工場で働いていた経験はあるが、暗く、つらいイメージしか無かった。しかもいきなり営業の仕事を任せるには荷が重すぎた。
祐二はこの香港企業を押さえコントロールできれば、厳しい日本本社の要求にも応じられ、中国での活動がスムースに進むと考えた。祐二はは王を送り込むことについて香港企業の総経理を説得し、了解を得ていた。
祐二は王を、まず深センの日本語学校に半年間通わせることにした。日本語を巧みにあやつるかに見えた王だったが、夜のカラオケクラブの客相手の言葉遣いでは日本企業の顧客相手の仕事には通用しなかった。王の会話は文法はでたらめ、敬語など全く無視した日本語であった。「祐ちゃん、ダメよ、多くお酒飲んじゃ!もうおしまい!タクシー呼ぶ?」と言った具合だ。
祐二は出張先に王を同行させ、約3ヶ月実地で営業の仕事を厳しく教え込んだ。礼儀作法から、日本人客との食事、二次会のカラオケの手配までさせた。祐二の強引とも思える行動に王は黙って従うほかなかった。王自身も、今後もずっとカラオケの仕事を続けていくつもりはないし、祐二は長くても5年の赴任期間で、日本へ帰国することは判っていた。祐二が帰国した後の王の生活を考えると、祐二の計画は王にとっても日本語能力を発揮し、毎月一定収入が得られるメリットがあると考えていた。
続く >>>
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